奥泉光著『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』文藝春秋、2005.07
この欄ではおなじみの芥川賞作家・奥泉光による書き下ろし長編ミステリ。基本的に所謂「新本格」の人たちを数多く含むミステリ作家がラインナップされている、文春の「本格ミステリ・マスターズ」の一冊として刊行されているところが実は大変なことなのであって、これはそれこそこの本の中でも主要なテーマとなっている「日本近代文学」史上の事件とも言えるわけだ。だから何なんだ、と言われても困るのだが…。
かいつまんでその要点を述べると、大阪にある短大で日本近代文学を「猿」たちに教えている桑潟幸一助教授のもとに持ち込まれた、第二次世界大戦中戦後あたりに作品を幾つか発表している超マイナー童話作家の「遺稿」を巡って起きたらしい幾つかの殺人事件について、ジャズ・シンガー・北川アキとその元夫・諸橋倫敦(ろんどん)からなる二人の謎解き役がその真相究明に乗り出す、というお話。
傑作『鳥類学者のファンタジア』(2001、集英社)の主役その他が登場する同書の続編的作品になっているのだが、本書における「ダメダメ大学教員もの」としての、桑潟をはじめとするアカデミシャンたちの「ダメダメ振り」に関する描写は実に的確かつ大笑い出来るものだし、「社会派ミステリに近い本格ミステリ」としての、アキと倫敦がやや偶然に頼りながら登場する人物達の隠された関係だの様々な人々の思惑だのといったものの複雑な交錯模様などなどを解き明かしていく過程についての記述は実に見事なものだ。
そういう内容を持つ本書は純然たる「社会派ミステリ」でも「本格ミステリ」でもないのだが、私見では要するに、陰謀史観みたいなものに言及して大風呂敷を広げながら、事件自体の解決法としてはごく合理的という、ミス・マッチの妙みたいなことを狙った作品なのだと考えた。端的に言えば、巻末のインタヴュウには名前が出てこない庵野秀明や清涼院流水といった人たちの「大風呂敷陰謀史観もの」に(より分かりやすくはダン・ブラウンかな、と。)、こちらは言及されている松本清張などによる「伏線散りばめまくり社会派ミステリ」をミックスしたものとして読んだ次第。
なお、タイトルのモーダル( modal )という英単語だけれど、これについては同じくインタヴュウの中で著者自身が「ジャズの『モード』の形容詞形」と述べていて、手許の辞書にも「(keyと区別して)旋法の」と書いてあるように、一応音楽用語として理解しておくのが良いのかも知れない、と思った。本書自体、とても音楽的な文体と様式を持っていて、それは端的にジャズであったり対位法音楽に近いものであるのだけれど、この本が、ジャズや「宇宙オルガン」等といったものについて言及した、音楽に関する直接的な記述を持った「音楽についての物語」であり、さらにはその存在形式自体が音楽的であるという重層構造が面白いと考えた。
以下、蛇足。ちょっと気になったのは201頁と223頁における桑潟助教授の行動が時系列的には逆転しているところ。単純なミスか意図的なものかが良く分からないのだが、基本的にこういうことをする意味は全くないように思う。もう一つ、こちらは間違い探しではないのだが、499-500頁にわたって記述された桑潟が日本近代文学についての「真実」に目覚めるあたりの描写は涙無くしては読めないもので、まさに「泣けるミステリ」の真骨頂を…、示してなんかいない。ついでながら、読了後カヴァーを外して初めて見ることになった、帯に書かれている「日本近代文学の輝ける未来!」という文句には爆笑させられた。このコピーを作ったあなたは凄すぎる。以上。(2006/01/13)