青山真治監督作品 『サッド・ヴァケイション』
10日ほど前に後輩の結婚パーティに出席がてらいつもの如く雨降りの渋谷で観てきたのだが、それは措くとして、と。本作は北九州出身の国際的評価も高い映画監督である青山真治が、恐らくはそのデビュウ作である『Helpless』(1996)、カンヌ映画祭で2賞に輝いた『EUREKA』(2001)という北九州を舞台とする二つの作品世界を統合することを目的として作った作品である。
物語は、『Helpless』に登場した、ある新宮市出身の作家を思い起こさせる名前を持つ主人公・健次(浅野忠信)が、ひょんなことからとある工場主の妻になっている昔自分を捨てた母(石田えり)に再会しその鬱屈した感情を更に募らせていく様と、その工場に偶然住み込むことになったこちらは『EUREKA』に登場した、バスジャック事件の被害者である梢(宮崎あおい)が、ある種アジール的な空間であるその工場で経験する同じ住み込み人達との交流という二つの軸の上で展開する。
ある種空前とも言える豪華キャストの作品なのだが、上の3人以外にも黒沢清の『アカルイミライ』での浅野との共演が何とも鮮烈な印象を残したオダギリ・ジョー、北九州出身の板谷由夏、大ベテランの中村嘉葎雄、間違いなくメジャーになる高良健吾、そして青山映画の常連光石研と斎藤陽一郎などなどが出演し、作品に花を添えている。ちなみに、撮影はいつものように田村正毅で、もう一つ付け加えると、今回のサウンド・トラックはモンゴルの口琴を多用した音楽がとても印象的なのだけれど、こちらもいつものように長嶌寛幸が担当している。
一本芯は通っているのだがその実異様に屈折した母性とでも言うべきものを見事な形で表現する石田えりも素晴らしいのだが、この映画で特筆されるべきは、既に評価は固まった感じの、押しも押されぬ日本映画界を代表する俳優である浅野忠信が、更なる進化を遂げている点。普通っぽさの中に時折にじませる静かな狂気を湛えた表情が何とも凄まじくも恐ろしい。
思うに青山真治という人は、物凄く斬新なことをやりながら、その扱うテーマは実に古典的であるのだけれど(この映画では端的に<母と息子>である。)、それを一度解体しつつ、自分なりに再構成し、煮詰め、そうした上で観衆ないしは読者に提示する、という手法がこの映画でも成功していると思う。この聡明な映画作家が、今後どのような人間関係を独自の視点と手法で描いていくのかに注目したい。以上。(2007/10/11)