京極夏彦著『邪魅の雫』講談社ノベルス、2006.09

待望、といった感のある京極夏彦による「京極堂」シリーズの長編最新作である。江戸川のほとり及び湘南地方で続発する毒殺事件を巡っておなじみのメンバ及び事件に関わっている人々が織り成す、ある意味群像劇とでも呼ぶべき内容になっている。京極氏の小説技法というのは多視点的叙述を基本にしているわけで、これが群像劇的色彩を帯びるのはいわば当たり前のことではある。そして、限りなく本格ミステリの流れに沿う形で、合理的解決かそれに近いものを結末部では描くことを旨としているこのシリーズの作劇法を踏襲し、ここでもラスト近くでは京極堂=中禅寺秋彦による謎解き=憑き物落としが行なわれることとなる。
ここでは、基本的に型モノである江戸文学や時代劇が大好きな京極氏が、一つの型を作り上げてそれを繰り返している、と見做してはいけないことを述べておきたい。実はこの作品、終盤の憑き物落とし部分では京極堂の口を借りて「物語」論が語られており、これは取りも直さず京極氏自身の叙述スタイルへの自己言及にもなっていて、まあ、言ってみればメタ・ミステリ的様相を帯びてしまっていたりするのである。これは新機軸を打ち出したものとして理解したいと思う。
さて、本書はこのところの同シリーズ内では群を抜く完成度に仕上がっていると思うのだが、難点を二つ挙げておきたい。第一点目は、殆ど京極堂の情報収集力及び情報収集活動のみによって事件の全貌が明らかになる、あるいは京極堂は一人で殆どを解決してしまっている、というのは、実は本書が採っているように思う、というより採っているはずの「ミステリ」という体裁とややマッチしていない、とも言えてしまうことである。本格ミステリはほぼ全面的にそうであるべきであり、ミステリ全般も基本的にそれに従うべきだと思うのだが、ある時点で読者に事件の真相を推理可能にするような情報を全て差し出す、というのが基本線であるはずで、本書のような叙述スタイルだと、「これってズルじゃん…」になってしまいかねないのだ。まあ、本書はミステリではなく別のものだ、と言われてしまえばそれまでなのだが…。
もう一点、本書で最初に死体で発見されるのは「澤井」という男なのだけれど、この人物の名字がどういうわけか460頁からしばらくの間「澤田」になってしまっている。「名前を覚える気がない」という設定の榎木津礼二郎の台詞なら理解できなくはないのだが、これは他の人々の台詞なので単なる間違いだと思われる。以上。(2006/12/07)

森博嗣著『ダウン・ツ・ヘヴン Down to Heaven』中央公論新社C・NOVELS、2005.12(2005.06)

2005年6月に単行本が出て、その年末に出た新書版である。実は、既に文庫版も出ている(2006.11)。一応本書が含まれるシリーズの正式名称を森博嗣の公式サイトで確認したのだが、それは「スカイ・クロラ」シリーズと呼んで良いようだ。でもって、この本はその内の第3冊目ということになる。
前作『ナ・バ・テア』の続編という位置づけで、永遠の子供であることを余儀なくされている有能なパイロット・草薙水素(クサナギ・スイト)と函南優一(カンナミ・ユーヒチ)との出会い、「ティーチャ」との息詰まる対決等々が描かれる。
浮遊感のある独特な文体が誠に詩情豊かな、実に素晴らしい作品に仕上がっていると思う。この後2冊で完結することがアナウンスされていて、うち一冊『フラッタ ・ リンツ ・ ライフ Flutter into Life』は既刊であることを述べておこう。以上。(2006/12/08)

森博嗣著『φ(ファイ)は壊れたね PATH CONNECTED φ BROKE』講談社ノベルス、2004.09

やや刊行が古くなるのだが、森作品は網羅する積もりになっているので記載しておく。それもあるのだが、『四季』シリーズが先頃文庫化されてそれらを読み終わったのと、更には本書その他が何気なく家の中に放置されているのを発見したので早速読み始めた次第で、これが結構面白いわけだ。
さてさて、本書はS&Mシリーズ(犀川&萌絵もの)、Vシリーズ(保呂草&紅子もの)、四季4部作に続くGシリーズ第1弾である。タイトルにギリシャ文字が使われていることからもほぼ明らかなのだが、GとはGreekのGなのだろう。物語の時間はS&Mシリーズの数年後位に設定されていて、犀川創平及びD2の大学院生となった西之園萌絵をややサブ・キャラクタ的な位置に置き、国枝桃子が赴任したC大学(まあ、モデルは中部大学か中京大学なのだろうけれど…)の学生である加部谷恵美と海月(くらげ)及介の二人を主人公にしてそれぞれワトソン及びホームズ役として配置する、という形をとっている。
口数が少ない、というか一切の無駄口を叩かない海月には「こういう人っているよな、ここに」と思ってしまったりもしたのだが、それは兎も角として、と。肝心のメイン・プロットはN芸大(端的に名古屋芸大なのだが…)の学生が密室状態の中、宙吊り状態で殺され、その死体発見の模様がヴィデオ録画されていた、という奇妙な事件の謎解きとなっている。実のところ、ミステリとして読めば余りにもカタルシスがないというか、何となくダラダラッとした感じで終わる小説で、シリーズから切り離して単体として読むとやや物足りない作品ではないかと思う、というのが正直な感想である。まあ、森作品の、特に講談社から出ている一連のものは、実際のところ単体で読むべきものではないし、読まない方が良いのであると考えているので、これはこれとしてさほど問題は無い、ということを付け加えておく。以上。(2007/02/08)

森博嗣著『θ(シータ)は遊んでくれたよ ANOTHER PLAYMATE θ』講談社ノベルス、2005.05

海月&加部谷コンビが活躍するGシリーズの第2弾長編である。刊行から2年未満なので、だいぶ追いついてきた感じ。間もなく追いつきます。
さて、今回はいつもの舞台である那古野市内で相次いで起きた、どうやら自殺で死んだらしい死体に口紅でθらしき文字が書かているのが発見される、という事件が中心プロットである。θと言えば一般的には角度を表わす記号なのだが、ちょっと違う使い方がされている。ちなみに、上で取り上げたφと言えばこれまた一般的には空集合を意味するのだけれど、こちらは物語と関係がありそうな感じだった。
既出の人物や組織が多々登場してきて、これまでのシリーズと繋がる様々な動きがメインのプロットの背後にあるんだな、ということが徐々に明らかになってくる。まあ、この本だけを手に取った、その辺に興味がない読者には酷な気もする。なお、ミステリと銘打たれている以上はミステリとしての評価をしておかないといけないのだが、どこかで見たことのあるトリック構築とその解決は、確かにそうなのだとは言え、論理的でしっかりしたもののように思われた。以上。(2007/02/11)