修士論文「巫女と霊魂観−宮城県北部地方の巫俗と社会−」、1994(未公刊)
本論文では、宮城県北部地方に分布する口寄せ巫女であるオガミサマと、彼らを中心とする巫俗文化を支える霊魂観、およびそれが形成される社会・文化的コンテクストについて論じた。執筆に当たっては、宮城県北部地方の登米郡中田町と本吉郡唐桑町を中心とした現地調査を行い、この地域の巫俗のみを取り出すのではなく、あくまでもホリスティックな視点に立ち、社会・文化的コンテクストとの関わりを吟味しながら考察していこうという考えの元に、社会人類学的なアプローチを採用した。
第T部ではまずエリアーデ以前・以後という時代区分を念頭におきながら、シャーマニズムに関する先行研究から説き起こした。シャーマニズムの本質を巡っては概ね脱魂説、憑霊説、および両者の折衷説という三説があるが、この内折衷説をとると見られる佐々木宏幹はトランスをシャーマニズムの本質と見る。そして神霊との直接交流の現れ方がトランスにおいて憑霊や脱魂の形をとるという。筆者はトランスを本質と見ることに関しては態度を留保し、シャーマンの定義については古野清人の「シャマンとはその呪術宗教的な力能を直接に精霊、神格から引き出してくる人である」というより広義なものを採用することにした。これに続く各章では日本における柳田國男、中山太郎、堀一郎、桜井徳太郎らによる一連の巫俗研究および、東北地方や宮城県の巫俗に関する先行研究を紹介した。 なお、佐々木は日本の巫者の成巫過程による分類を行っており、それによれば日本のシャーマンは「召命型」、「修行型」、「職業型」に分けられるという。以上をまとめると、本稿で扱うオガミサマは「職業型の憑霊型シャーマン」であることになる。
第U部では二つの調査地の概略を示した。中田町は内陸部の稲作地帯であり、海岸部の漁業を主生業とする唐桑町とは著しい対照をなす。社会組織について見ると中田町は社会人類学などでいう「講組型」の社会であり、唐桑町は「同族型」の社会である。また、信仰面を見ると、「ウジガミ」の祭祀について、中田町では唐桑町に比べその信仰が希薄であり、その祭祀に巫女の関与が全く見られないことがいえる。また、唐桑町では「オシラサマ」と呼ばれる呪物信仰が存在し、これにはオガミサマが密接に関係している。
第V部では巫俗の事例を紹介した。この地域では口寄せを行う盲目あるいは眼疾を持つ職業型の巫女は、オガミサマ・オカミン等と呼ばれる。また、それ以外に盲目の修行型のミコサマ・カミサマ等と呼ばれる巫女が存在している。オガミサマの成巫過程の特徴としては後天的な失明、早い時期の弟子入り、21日間の前行、入巫式などがほぼ共通して見られるということがある。巫業についてみると、口寄せには死の直後に行う新口と古口があり、どちらも中田町に比べ唐桑町の方が圧倒的に需要が多い。新口の時期については、中田町では百ヶ日以前の当り日、唐桑町では初七日前がよいとされる。呼び出す先祖に大きな相違はないのだが、中田町では新仏をおろす前に先祖を返してしまうのに対し、唐桑町では止め口まで先祖は送らない。さらに正月には巫女が関与する祭祀として、唐桑町ではカミサマアソバセ、中田町ではトシマツリ等と呼ばれる祭祀が行われるが、唐桑町ではこれらの祭祀が村落やシンルイを祭祀集団として行われ、中田町では個人あるいは家単位で行われるという相違がある。
第W部では成巫過程の分析を行い、巫俗と祖先崇拝との関わり、そして霊魂観に関する社会・文化的コンテクストとの相互連関についての仮説の提示という形で話を進めた。結論部では同族制をとる唐桑町において講組型の中田町に比べ巫俗がより色濃いという点に着目し、霊魂を存在させているのは、同族的結合が地縁的結合に比べてより強力に持つと考えられる社会の求心力にあるのではないかということを述べ、そしてその霊魂の表出を可能にするのがオガミサマの「語り」であるとする。そして、その霊魂とはいったい何であるかという点について、竹沢尚一郎の憑依文化内における近代的自我の出現とそのジレンマに関する議論を援用し、霊魂(あるいはオガミサマ)の「語り」は<私>(この表記は竹沢による。筆者はこれを西洋近代的主体的自我と理解する。)の不在を示し、それは空間的・時間的に個々がばらばらでない社会における「他者」、すなわち個々の「私」(同上。前記の西洋近代的主体的自我に対応するある意味で非主体的な自我と解釈する。)、に分散しておかれた、社会における「共有された知識」としての「他者」の語りであり、同時にまた霊魂とは、社会的に「共有された知識」なのではないかという見解を示した。