学位論文(2000年10月30日提出):要旨
 東北シャマニズムにおけるコミュニケーション行為の諸相
               ―宮城・山形両県の口寄せ巫女とその共同祭祀を題材に―

序論
 本論文の目的は、東北日本のシャマニズムと村落社会の関係に関し、それが端的に現われる場であると筆者が考える、口寄せ巫女が関与する共同祭祀を題材として、社会人類学的立場からの考察を試みる事にある。
 これ迄の東北日本を含めた日本のシャマニズム乃至巫俗研究では、シャマンと見なせる宗教的職能者自身の成巫過程や、主として個人の依頼による死者の口寄せ・治病行為・祈祷・卜占等といった巫業形態にその中心が置かれて来た。その結果として、彼等の共同祭祀への関与については充分に注意を払われておらず、事例報告は少なくはないもののあくまでも断片的な記述にとどまっており、体系的にまとめられていないのが現状である。
 筆者はそうした情況を打開し、シャマニズム研究に新たな方向性をもたらすべく、宮城・山形両県の各地域において広く認められる口寄せ巫女の関与する共同祭祀に関する調査を1993年6月から今日に至る約7年の間積み重ねて来た。本論文ではこれらの事例を取り挙げ、考察を加える。
 本論文第3章の考察においてまず第1に論じられるのは、彼女等が関与する共同祭祀の形態並びに彼女等の公的性格の強度と、それらが各地域の村落構造と相関性を持っているかどうか、という問題である。結論を先取りして言うならば、相関性は明瞭とは言い難い。そこで問題は社会と巫俗の関係を離れ、巫俗自体の特質、即ち巫俗を構成する当事者である巫女やクライアント達が織りなす、複雑かつある一定の論理性をもって構成されていると考え得るコミュニケーション行為の諸相が、クローズアップされる事になる。より具体的には、巫女側の巫儀における技法、即ちカミオロシにおける韻律性の問題、更には、今度は巫女の託宣に対するクライアント側の対応、即ちその記録や伝達の形態の問題を検討する事になる。

第1章 研究史並びに研究の経過
 本章では、シャマニズム及び日本の巫俗に関する先行研究を一望を行なった。ここではシャマニズムを論ずる上で最小限必要な概念規定を示す事、及び先行研究の問題点を摘出する事を目的としている。
 ここではまず、古野清人の定義である、「シャマンとはその呪術的な力能を直接に精霊、神格から引き出してくる人である」を採用する。それにより、本論文で扱う口寄せ巫女は、その業態から考えて、シャマンと見なしうる存在となる。
 そこで本論文においてまず第1に吟味されるべき問題は、シャマン/プリースト論のような形で論じられて来た、シャマン=私、プリースト=公という図式が現実とは相容れないものである、という認識が高まる中で、果たして宮城・山形両県のオガミサマ、オナカマ、ミコなどと呼ばれる巫女、即ちシャマンは、私的領域のみにその職能があるのか否か、という事である。更には、議論を先取りすれば彼女等は公的領域にも進出しているのだが、もしそうであるとして、それはどの程度なのであり、かつまたその程度は社会構造の何らかの側面――ここでは特に村落構造を問題とするのだが――と関わりがあるのか否か、という事が次の問題となる。
 次に、先行研究では韻律性がある事が自明視されていたために、充分な吟味が行なわれて来なかった口寄せ巫女の語り、即ちホトケオロシとカミオロシの形態が問題となる。尚、ここでは、これ迄彼女等の主業態とされ、調査・研究の中心であったホトケオロシではなく、カミオロシの韻律性を問題としたい。それによって、前記の公的領域への参入の程度の問題とも関わりを持たせられるからである。
 最後に、託宣の文字その他の手段による記録・伝達に関し、管見する限り先行研究の存在しない、口寄せ巫女が属している口頭文化と、クライアント達が身を置く文字文化(勿論口頭文化がないわけではない。)との関係について論じる。これもまた、上記の問題と関わってくる事になる。

第2章 事例:宮城・山形両県における口寄せ巫女の共同祭祀
 ここでは詳細は省かざるを得ないが、本章では、宮城・山形両県の口寄せ巫女による共同祭祀の事例を、一部の地域については詳細なモノグラフを添えつつ記述した。
 その結果として露わになった事実を両県各地域の村落構造、及び同じく両県の巫俗の特徴に分けて述べる。
 まず、宮城県も含め、各地域の村落構造についてまとめると、それは即ち、

1.唐桑町を中心とする宮城県北部と岩手県南部の沿岸地域は同族型である。
2.中田町などの宮城県内陸部及び沿岸部でも本吉町以南の地域、そして山形県村山地方は講組型で、戸主契約的、ムラ組的要素が濃厚である。
3.山形県最上・庄内地方では、講組型で「契約」は葬い組を指す。
4.その巫俗に関しては全く未調査であるが宮城県牡鹿半島、及び本章でその巫俗に関し詳述した庄内地方でも沿岸部の一部は年齢集団的性格を持つ講組型である。
の4点となる。
 また、もう一つ、宮城・山形両県の巫俗の特徴をまとめると、それは、
1.宮城県内陸部及び本吉町以南の沿岸部以外のほぼ全地域で(牡鹿半島は除く)、口寄せ巫女の共同祭祀への関与が見られる。
2.それら共同祭祀の特徴として、庄内地方では旧村社の氏子集団のような男性のみからなる祭祀集団の例も存在するが、他地域では概ね女性祭祀集団が主体となる。
3.庄内地方ではホトケオロシとカミオロシの韻律に差異を持たせる例が大多数を占め、特にカミオロシを日常的な発話で行なう例が存在するが、他地域では両者に差異を持たせるという例は稀で、どちらも明瞭な韻律を持つのが一般的である。
4.とりわけ庄内地方、そしてまた村山地方の一部では、託宣の記録・伝達に多大なエネルギーを注いでいる例が見出せ、それらの事例においては文字・印刷・録音などが様々な形で駆使されているのに対し、宮城県北部と岩手県南部の沿岸地域などでは、託宣記録はあくまでも個人・家単位で行なわれ、その記録・伝達にはさほどの労力は割かれていない。
の同じく4点となる。

第3章 考察:東北シャマニズムにおけるコミュニケーション行為の諸相
 本章では、以上に述べて来た事例を踏まえて、第1に口寄せ巫女が宮城・山形両県において様々な形で共同祭祀に関わる事、第2にカミオロシについては、どの巫女にもホトケオロシと同様の明瞭な韻律を伴なう地域と、韻律を伴わないか、もしくはホトケオロシとは異なった韻律を持つ巫女が散見出来る地域がある事、そして最後に、託宣の記録や伝達の仕方にも、地域性が見られる事、という3点について、考察を行なう。

第1節 シャマン/プリースト論再考:口寄せ巫女の共同祭祀
 第2章において数々の事例を挙げて来た通り、これ迄の研究では主として私的領域に携わると言われて来た口寄せ巫女も、宮城県の内陸部などのごく一部を除けば、宮城・山形両県の殆ど全域にわたって公的性格を持つ様々な共同祭祀に関与している事が明らかとなった。この段階で、両県の口寄せ巫女、即ちシャマンに分類されて来た女性巫者達は、地域的な格差はあるとは言え、ほぼ全般においてプリースト性を持つ、と結論付けられるだろう。
 しかし、単に類型論を批判するのみでは、何も明らかになった事にはならない。重要なのは、それらの共同祭祀の公的性格の質なのであり、これらが各地域の社会・文化的コンテクストとどう関係しているのかについて考えなければならない。ここでは事例の中で折に触れ述べて来た村落構造の問題が、クローズアップされて来るであろう。本節では、巫俗と村落構造の問題に踏み込む事になる。
 まず、宮城県北部及び岩手県南部沿岸地方と山形県庄内地方の比較を行なうと、村落構造として同族型をとる前者において、講組型をとる後者においての方が、口寄せ巫女の関与する共同祭祀の公的度合いは高いと言える。しかしながら、ここにおいて、両者には相関性がある、と結論することは出来ない。何故ならば、庄内地方と条件が殆ど変らない山形県最上・村山地方の口寄せ巫女の共同祭祀への関与の在り方は、どちらかと言えば宮城県北部及び岩手県南部沿岸地方に近いからである。更には、同じく講組型をとる宮城県内陸部などで、口寄せ巫女が共同祭祀に全く関与していないという事実が、説明出来なくなる。
 こうして宮城県内陸部などをも含めて、以上の問題、即ち口寄せ巫女の関与する共同祭祀の有無やその公的性格の強度といったものについては、村落構造と接合させる事は困難であり、別の条件を考えるべき事が明らかになった。そして、それは巫俗自体の持つ特質、ここではカミオロシの韻律性と、その記録・伝達の在り方からより良く説明可能なものなのである。

第2節 カミオロシの韻律性を巡って
 第2章で述べた事をカミオロシの韻律性という点に関して、まとめると、

1.宮城県北部及び岩手県南部沿岸地方や山形県最上・村山地方では、全ての口寄せ巫女についてほぼ例外なく、ホトケオロシとカミオロシのどちらもが、韻律性を伴っている。
2.それに対して庄内地方では、7名の口寄せ巫女に関し、ホトケオロシとカミオロシについて前者では韻律を伴う〈うた〉、後者では韻律性の稀薄なフラットな〈かたり〉という形式で明確に口調を変える例が3例存在する。更に、カミオロシをフラットな〈かたり〉で行なう例は4例を数え、カミオロシとホトケオロシで口調を変える、という例が6例ある。
という事になる。
 この節では、儀礼において見られる祭祀執行者の発話行為の問題に関する議論を概観し、それが彼等のステイタスをどのように表象・確立するものであるかについての示唆を踏まえ、本論文で扱う事例に関して論じる。
 即ち、ここでは、宮城県北部及び岩手県南部沿岸地方や山形県最上・村山地方では口寄せ巫女は共同祭祀に関与するとは言え、庄内地方に見られる男性氏子組織による極めて公的性格の強い祭祀への関与は認められない、という点に注目しなければならない。また、この事実と、宮城県北部及び岩手県南部沿岸地方や山形県内陸部の口寄せ巫女はホトケ・カミのどちらをおろす場合にもその時の口調はメロディを伴う〈うた〉であるのに対し、庄内地方では両者で口調を変える事例が大多数を占めるという事実の関係性を問題視したいと思う。つまり、口寄せ巫女が関与し得る共同祭祀の公的性格の強度と、彼女等のカミオロシとホトケオロシの間に見られる弁別性には、相関があるのではないかと考えてみるのである。
 つまり、ここでは、ひとまず、〈韻律性のないカミオロシは韻律性のあるカミオロシに比べより公的性格の強い祭祀と結びつきやすい〉、という仮説を立てられる事になる。
 それでは何故に韻律性のない事が公的性格の強い祭祀と結び付くのか、という点について考えてみると、要は韻律性の有無もまた言語表現の持つ特性の一つなのであると考えれば、それが使用者集団によって〈韻律性あり−私的性格の強い儀礼〉、〈韻律性なし−公的性格の強い儀礼〉という連合が、それこそ恣意的に形成される事もあり得るのかも知れない。言い換えるならば、公的/私的という二分法が、カミオロシの韻律性の有無によって表象されている、という事になるであろうか。
 こうして、筆者は〈うた〉と〈かたり〉の間にあるのは、差異なのであり、それがシニフィアンの恣意性と同様にして、それぞれより私的な儀礼、より公的な儀礼と、機能的連関ではなく言語記号の「所記」と「能記」の結合のように、結び付いているのではないか、と考えるのである。

第3節 託宣の記録と伝達:口頭文化と文字文化
 さて、最後に、それぞれの社会における口頭文化に属するカミオロシに対するクライアント側の対応である、大部分が文字によってなされる託宣の記録・伝達形式の相違について考える事にしよう。
 庄内地方とその他の地域を比較対照すれば、第2節で述べた韻律の差異と同様に、〈記録・伝達の方法については、1.それをより洗練、かつ非日常的なものにしていく事、2.また、より多くの人間がそれに触れられるようにする事、3.そのためには最新テクノロジーの投入が積極的に行なわれる事、4.更には最早その年の託宣としての機能を失った後々迄それらを残していく事、の4点に払われる努力の大きさは、その祭祀や託宣そのものの持つ公的性格の強度と比例している〉のではないか、という仮説を提示出来るだろう。
 更にまた、本論文の出発点であった、シャマニズムと社会の関係、或いはここ迄論じて来た事によってより具体的になって来た問題である、巫俗、或いはカミオロシを伴う祭祀を支えているのは何か、というと、それは口寄せ巫女を地域社会がその要求によって生み出して来た弟子入りから成巫に至るプロセスに発揮され、その語りの韻律性を身体に刻み込む〈制度〉、そして、クライアント側の問題として、識字教育や書字教育を通じてこれも同じく〈書く事〉や〈読む事〉を身体に刻み込む〈制度〉の存在が浮上して来る。
 要するに、口頭文化に属するカミオロシにせよ、基本的に文字文化に属するその伝達や記録にせよ、本論文が扱って来たような、巫俗に含まれるコミュニケーション行為とは、それが行なわれる祭祀というコンテクストが要求する身体技法に則って行なわれる、という事なのである。本論文が最終的に到達した結論は、そうした〈口寄せ巫女が関与する共同祭祀の公的性格の強度と、そこにおける口寄せ巫女のカミオロシが持つ韻律の差異の有無や、クライアントによるその記録・伝達の諸形態、即ちコミュニケーション行為という身体技法の形態との関係は、個々の社会・文化的コンテクストの中で人々に身体化され制度化されている〉、というものである。