以下、当日配布したレジュメのテクスト部分です。

第27回東洋大学大学院社会学研究科院生共同セミナー・レジュメ  2001/02/03 @東洋大学

                東北シャマニズムにおける口承と書承の対位法
                                             ─山形県東田川郡三川町の事例を中心に─

はじめに
 本報告では、山形県庄内地方において「ミコサン」「ミコ」等と呼ばれる口寄せ巫女(1)により、同じく「太夫」と呼ばれる神職が司祭する共同祭祀(2)での公表を目的として事前になされる「カミオロシ=託宣」(3)に関し、それが正に口承と書承の交差する場であるという点に注目し、考察を加える。
 さて、報告者は死者の口寄せを主業態とすると言われてきたその多くが視力障害を持つ口寄せ巫女について、特に彼女等の共同祭祀と見なせる儀礼への関与のあり方についての調査を続けてきたが、ここでは同県東田川郡三川町猪子地区で行われている三つの事例における託宣が、文字を介して伝達され、記録される事に注目したい。その中心に位置する人物の多くが盲人であるがために、文字文化との距離が過大視され、あるいは彼等の伝承・語りの持つ口頭性に重きがおかれて来たためか、巫俗における両者、すなわち口承と書承の相互関係に関する検討は管見する限りきわめて乏しい情況にあるのだが(4)、それが故に以下に示す事例に顕著に現れている両者の関係について考えることには、極めて重要な意味があるものと考える。

1.事例
1-1 猪子地区の概観(5)
 猪子地区は184世帯、男377人、女423人の計800人(1999年7月31日現在)からなる。就業産業別人口は第一次産業が74人、第二次産業が193人、第三次産業が189人。うち第一次産業の内訳は農業が74人である(1995年国勢調査)。耕地面積計19,593aのうち、田18,734a、畑600a、樹園地59aであった(1997年山形県農業基本調査)。
 同地区に住むミコサンO・M巫女(1923年生)は盲目の口寄せ巫女であり、死者の口寄せは年齢的な事情から既に止めているが、三川町とその周辺地域の以下に挙げるような共同祭祀に活発に関与している。

1-2 三つの共同祭祀とその託宣の記録と伝達
a.地神講:猪子は慣習的に「上」/「下」二つに分かれているが、地神講には「上」の54戸が加入している。3月21日が祭典日で、事前に(1999年は2月28日)O・M巫女のところへ託宣を聞きに行きこれを録音、その内容を書き起こしワード・プロセッサを用いて印刷したものを直会の席で配布し、さらにこれを「堅牢地神講御託宣」と表紙に書かれた帳面に墨書にて清書し、次の宿元に渡す。直会の席で印刷して配布するようになったのは1994-5年のことで、それ以前は司会者が口頭で読み上げていたという。報告者が見学した1999年の直会でもそうであったが、印刷されるようになってからは読み上げることはなくなったとの事である。
 最古の託宣記録としては、1921年のものが存在する(資料1)。以後、第2次世界大戦を経てその記述は次第に簡略化し、1959年のものは農産物に関する記述と火難のみが扱われている(資料2)。その後徐々に記述が詳細なものになり、1999年のものは、最長である(図1、資料3)。また「堅牢地神講御託宣」と表紙に書かれた帳面には1969年以後の託宣記録が、毎年もれなく編年順に収められている(それ以前のものも収められているが、年号は不連続である。)。表紙のないもう一分冊には1921年から1968年分までが、ばらばらな年号順に収められている。

b.大神講:旧村社・琴平神社境内にある天照皇大神宮を祀る祭祀で、講員は20名(内13戸が八幡講に、7戸が地神講に重複加入している。)、祭典日は3月16日である。事前に(1999年は3月10日)O・M巫女の託宣を聞きに行き、当日直会の前に口頭で報告する。託宣を記録した紙片があり、会計記録などと一緒に箱に入れ、祭典が終わると次の年の宿元に渡す。託宣記録は便箋、大学ノート、原稿用紙に鉛筆、ボールペン、ワード・プロセッサ(これは1996年のみ。)その他を用いて書かれている。1980年のものが最古であり、その内容、形式、筆記具は、全く不連続に変化する。また、これらの託宣記録は綴じられていない。1999年のものを資料として掲げる(図2、資料4)。

c.八幡講:八幡神社は旧無格社で、「下」のうちの60戸が加入している。祭典は3月19日で、事前に(1999年には3月3日)O・M巫女のところで託宣を聞いてくる。これが直会の席で配られる手書きの「八幡神社収支計算書」に簡潔にまとめられて記載される(図3、資料5)。会計報告は行われるものの、託宣の部分が読み上げられるという事はなく、また清書・保存も行われていない。

2.まとめ
 地神講では、形式に長い年月経過による異同はあるものの、基本的に和紙に墨書、という形は一貫して守られている。字体についても、書き手が毎年変わる事を考えると、楷書ないしは丁寧な字、という基本線を保持していることは重要である。これは、宿元が輪番で替わるがために、<他人に見せるもの>という意識が働くため、とも考えうる。
 これに対し大神講では、形式において変化が大きい。ここでは、託宣の文字化は、後に残すべき記録というよりは、口頭で伝えるためのメモ書き、すなわちその場限りのものであるように思われる。
 最後に、八幡講ではそもそも託宣に対する関心そのものが薄いように見える。
 ここでは、以上の事例から見て取れる事柄として3点を挙げ、結語としたい。
1.基本的には口頭文化に属する口寄せ巫女による託宣と、その記録・伝達という形での文字文化への取り込みは、口頭文化と文字文化の相互関係の在り方を端的に示すものである。
2.カミオロシ=託宣の扱い方は各祭祀集団の裁量に任されており、これはそれぞれの祭祀への神職の関わり方が、画一的であるのとは対照的である。
3.このようにして、口承と書承という二つのコミュニケーション形態の相互関係は、猪子地区という限られた場所における口寄せ巫女が関与する高々三つの共同祭祀においてさえ、誠に多様な現れ方を示している事が分かるのである。
以上。

〈注〉
(1)ここでは、大部分が盲目ないしは弱視であり、死者の口寄せを行うことが出来る職業型の巫女を「口寄せ巫女」と表記する。
(2)「共同祭祀」という表現は佐治靖[1988]に倣っているが、ここでは報告者が以前用いた「公的祭祀」とほぼ同様の意味で使用する。尚、「ここでいう『公的』とは例えば何らかの儀礼がある集団の目的達成を意図することを指し、逆に『私的』とはそれが個人的レベルに属する問題解決を目指すことを指す。」[平山 1996:74]事になる。
(3)当地では、後述のように依頼者側は主としてこの語を用いているのだが、口寄せ巫女の側ではむしろ「カミアソビ」という語が使われる。
(4)兵藤裕己[1985、1988、1993]、川島秀一[2000]による研究は数少ない例外と言える。

〈文献〉
石津照璽 1961 「東北のおしら」『東北文化研究室紀要』第3集:1-21
猪子のあゆみ編さん委員会編 1990 『猪子のあゆみ』猪子町内会
井口淳子 1999 『中国北方農村の口承文化 語り物の書・テキスト・パフォーマンス』風響社
石川純一郎 1974 「口寄せ巫女の伝承 ―八戸市周辺の場合―」『國學院大學日本文化研究所紀要』第三十四輯:73-161
大川廣海 1950 「山形のミコ」『民間伝承』第十四巻第九号:18-21
岡田照子 1952 「庄内地方の「オコナイ樣」について」『民間伝承』第十六巻第十二号:18-22
オング、ウォルター J.  1982(1991) 桜井直文・林正寛・糟谷啓介訳『声の文化と文字の文化』藤原書店
川島秀一 2000 「東北の巫祖伝承」『東北民俗』第34輯:9-18
楠正弘 1985 「庶民信仰の動態論」中村瑞隆博士古稀記念会編『中村瑞隆博士古稀記念論文集 仏教学論集』春秋社:641-652
グディ、ジャック 1977(1986) 吉田禎吾訳『未開と文明』岩波書店
坂井信三 1997 「イスラーム世界の文字と呪術」『民族學研究』62-3:388-393
佐治靖  1988 「オシンメイサマの共同祭祀と憑霊信仰」『日本民俗学』176:1-35
佐藤光民 1958 「山形県庄内地方のオコナイ様信仰をめぐつて」『民俗』(相模民俗学会)第31号:6-8
− 1988 『温海町の民俗 温海町史別冊』温海町
戸川安章 1952 「山形県庄内地方における修験と巫女の機能と形態」『宗教研究』第131号:32-33
− 1954(1986) 「庄内地方における巫女とおこない神=v所収『新版・出羽三山修験道の研究』佼成出版社:411-432
原田敏明 1949 「部落祭祀におけるシャマニズムの傾向」『民族學研究』第14巻第1號:7-13
兵藤裕己 1985 『語り物序説 ―「平家」語りの発生と表現―』有精堂
− 1988 「物語の巫俗」川田順造・野村純一編『口頭伝承の比較研究[4]』弘文堂:84-109
− 1993 「語りの場と生成するテクスト ―九州の座頭(盲僧)琵琶を中心に―」民俗芸能研究の会・第一民俗芸能学会編『課題としての民俗芸能研究』ひつじ書房:327-368
平山眞 2000 「「口寄せ巫女」の「共同祭祀」 ―山形県庄内地方の事例を中心に―」『宗教研究』323:298−299
フーコー、ミシェル 1971(1981→1995) 中村雄二郎訳『言語表現の秩序』河出書房新社
マクルーハン、マーシャル 1962(1986) 森常治訳『グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成』みすず書房
三川町 1998 『三川町の概要 平成10年度版』三川町
柳田國男 1932→1946(1990)「口承文芸とは何か」『口承文芸史考』所収『柳田國男全集 8』ちくま文庫:14-82
若月麗子 1958 「山形県東田川郡 同族で祀るオコナイ様」『民俗』(相模民俗学会)第31号:4
CAROTHERS,J.C. 1959 Culture, Psychiatry, and the Written Word, Psychiatry : Journal for the Study of Interpersonal Processes,Vol.22 No.4:307-320