平山眞の自己史

・千葉市に生まれる。3歳から8歳までの約5年間を岐阜市で過ごす。その後は千葉市幕張町(後に花見川区幕張町)にほぼ定住してきた。

・履歴は大学から記述することにする。学部は早稲田大学理工学部電子通信学科を卒業した。ちなみに卒業論文のタイトルは「記憶研究における連想記憶問題の位置づけとその工学的構成法」であった。この論文の基本的なアイディアはM.プルーストとT.コホネンから得たものである。

・同大学を卒業後、株式会社富士ゼロックスに入社。以後2年間埼玉県大宮市に在住し、東武野田線にて岩槻事業所に勤務。ワークステーションの開発に従事する。

・約二年間の勤務を経て同社を退社。

・翌年4月に明治大学大学院政治経済学研究科博士前期課程に入学、政治学を専攻。政治学とは名ばかりで、実際に学んだのは社会人類学である。

・1994年3月(ここからは年号を入れていくことにする。)に同課程を修了。修士論文のタイトルは「口寄せ巫女と霊魂観−宮城県北部地方の巫俗と社会」であった。本論文の基本的なアイディアはM.プルースト及びM.ハイデッガーによっている。なお、修士課程在籍中の約1年間江東区亀戸に在住していたことを知る人は少ない。

・同年4月東洋大学大学院社会学研究科博士後期課程に入学、社会学を専攻。実際に行なっているのは社会人類学的な手法による東北地方の民間信仰の研究である。

・1997年より非常勤講師の仕事もぼちぼち始める。この年から東洋大学短期大学で4年間文化人類学の講義を担当したが、同大学の統廃合に伴いこの講座は2000年度をもって閉鎖。これと相前後して2000年度からはフェリス女学院大学にて文化人類学の授業を行なっている。

・2001年3月東洋大学大学院社会学研究科博士後期課程を修了。社会学の博士号を授与される。学位論文のタイトルは「東北日本のシャマニズムにおけるコミュニケーション行為の諸相−宮城・山形両県の口寄せ巫女とその共同祭祀を題材に−」。本論文の基本的なアイディアは特定の名指し可能な誰々から頂いたものではない。

・2001年5月にLEC東京リーガルマインドと業務委託契約を交わし、同月より千葉市その他にて総務省主催のIT講習講師として働き始める。こちらは2002年3月末をもって契約期間が終了した。

・2001年12月に横浜市立大学看護短期大学部にて非公式に文化人類学の集中講義を担当し始める。

・2002年4月より同じく横浜市立大学看護短期大学部にて公式に文化人類学の集中講義を担当し始める。

・2002年4月より鈴鹿国際大学にて民俗学の集中講義を担当し始める。

・2004年4月より1年間横浜市立大学にて文化人類学演習を担当。

・2004年4月より神奈川県衛生看護専門学校にて家族社会学の講義を担当し始める。

・2005年4月より横浜市立大学にて総合講義A「多文化社会と異文化理解」のうち数回を担当し始める。

・2006年1月より九州北部を本拠地とするIT関連事業の設立準備などに関わり始め、同年7月14日になされた同事業体の株式会社登記と同時に、その取締役副社長に就任した。

・2006年11月より、同社の事業と関連を持つ渋谷での店舗運営に携わるようになる。

・2007年1月で同店は閉店。これに伴う形で同年2月には上記会社の取締役からは事実上退く。

・2007年3月終盤より、東海地方(具体的には三重県鈴鹿市)にて技術系の職務に就任。近場でフィールド・ワークを開始する。

・2007年4月より、東洋大学東洋学研究所の客員研究員となる。

・2008年9月に、名古屋市内に転居。

・2009年4月に、千葉市内に転居。千葉県立鶴舞看護専門学校で社会学の講義を担当し始める。

・これまでの皆様のご支援誠に感謝いたします。