吉松和哉著『医者と患者』岩波現代文庫、2001.06(1987)
精神科医である著者が、医者と患者の関係について、その過去から今日までのあり方(過去についてはP.L.エントラルゴ著 榎本稔訳『医者と患者』平凡社、1973(原著初出不明)が元ネタとして大々的に援用されている。)、およびあるべき姿について語り尽くした書である。これまで宗教職能者とその信者・依頼者(人類学では「クライアント」などと呼んでいる。)の関係のありよう(決してあるべき姿ではない。)を追求してきた私だが、最近はこれを近代医療その他における医者と患者=クライアント関係と比較対照しようなどという大胆な試みを開始しているところである。そんなわけで、個人的に大変参考になった次第なのだが、インフォームド・コンセントの重要性が指摘されてきた昨今において、「医者−患者関係」というものは私個人の興味関心を離れて、より一般的な問題機制としても本当に大事なものなのであり、また今後更にそうなっていくはずのものなのだから、興味のある方にはご一読をお薦めする。以上。(2002/06/26)
Italo Calvino著 和田忠彦訳『パロマー』岩波文庫、2001.11(1983)
名前からしてお分かりの通りイタリアが生んだ、マイ・フェイヴァリットな20世紀を代表する作家の一人であるI.Calvinoの、生前刊行された最後の連作短編小説集。本書は、作家の分身とも言えるのだろう中年男性「パロマー氏」による、彼の生きる世界の観察と考察が、3部×3章×3節=全27節にわたって極めてシステマティックな形で記述される、というこの人ならではの〈小説としての形態ないし形式そのものが重要〉な作品。7ページにはこの小説の書かれ方が説明されているのだけれど、各章を分ける三つの節にはそれぞれ1.視覚による経験の記述、2.人類学的な物語風のテクスト、3.思索的な経験の瞑想、というような叙述形態が採用されている。単なる経験の記述と深い思索の間に、人類学的ないし文化的要素を含むテクストというものが置かれていることは、人類学を専攻している私にとっても、なるほど頷けるものなのであった。まあ、人類学者の中でも、記述に重点を置く方や、思索や思弁に重点を置く方など、様々なヴァリエーションがあるのであって、私は真ん中くらいを一応ポリシーとして掲げている、ということも、もののついでに述べておこう。ちょっと脱線したけれど、以上で終わり。(2002/06/26)
山田正紀著『花面祭 MASQUERADE』講談社文庫、2002.07(1995)
とうとう今日の日本を代表するミステリ作家となった観のある山田正紀による、1995年に中央公論社から刊行された本格ミステリ連作短編(=長編)の文庫化である。オリジナルの短編は、1990年に『別冊 婦人公論』に連載されたもので、これをまとめて頭と終わりその他を付け加えてできあがったのが、本作品ということになる。第2次世界大戦時と昭和末という二つの時間を繋ぎつつ展開される物語構成は、今にしてみれば『ミステリ・オペラ ―宿命城殺人事件―』(早川書房、2001.04)への序奏ともいうべきものだったのかも知れない。華道という世界についての勉強量に敬服しつつそれは措くとして、その後『女囮捜査官』シリーズに引き継がれることになる「女性の視点」の重視という小説技法が、1990年にそろそろ一つの形を取り始めていたことは、この作家を含めた日本のエンターテインメント系文学の系譜を語る上では大変重要なのではないかと考える次第である。以上。(2002/07/24)
山田正紀著『チョウたちの時間』徳間デュアル文庫、2001.04(1980)
山田正紀による、ハードSF長編の文庫版再発。SF氷河期の片隅で埋もれていたとしか思えない同著者初期の傑作が、こういう形で再び日の目を見るのは、誠にうれしい限り。徳間デュアル文庫の、どう見ても中高生向け装丁(まあ、中身も一応そうなんでしょうけれど…。)とは相反して、「時間と空間の対立」というとんでもなく深遠なテーマを掲げた本作は、ハードSF作品として、もっと高く評価されて良かったのではないかとさえ思う。同著者による『最後の敵』(多分、絶版)および『宝石泥棒』、あるいは光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』に匹敵する、とまでは言わないけれど、大変良くできた作品であることは間違いなく、この際取り敢えずお買い求めになっておくことをお薦めする次第。何しろ、あっという間に絶版になる世知辛い世の中なもので…。以上。(2002/08/03)
岩井志麻子著『ぼっけえ、きょうてえ』角川ホラー文庫、2002.07(1999)
表題作「ぼっけえ、きょうてえ」で第6回日本ホラー大賞を受賞、さらにはこの短編集自体が第13回山本周五郎賞を受賞した。そんなこともあり、実に中身の濃い、奥の深い作品揃いの傑作短篇集である。岡山県の社会状況や土着文化を背景に、文字通り、岡山弁で「とても、こわい」を意味する「ぼっけえ、きょうてえ」なお話を満載。まあ、私自身はすでにこういうのを余り怖いと思わない歳になっているのはともかくとしてだが…。ちなみに解説は京極夏彦が担当。味のある文章を書いています。以上。(2002/09/03)
山田正紀著『地球・精神分析記録 エルド・アナリュシス』徳間デュアル文庫、2001.08(1977)
山田正紀による、初期SF作品。柄谷行人(からたに・こうじん)の著述みたいなタイトルだが、基本的にはユング心理学をベースに、近未来、集団無意識を失った人類が、それを補完すべく創り出された機械仕掛けの神たちと対決するというオムニバス形式の連作短篇集とも言える作品。この人の作品には、「神との対決」というテーマが常につきまとうのだけれど、この作品もまたその通り。更には、雑誌連載という形をとるためなのか、連作短編=読み切り型にして、それを総括しどんでん返しさせるような結末を付け加える、というパターンも、この後幾つかの作品にみられるのだが、これが如実に現れていることも述べておこう。ついでながら、「ヴァーチュアル・リアリティ」などという言葉が存在したかどうかさえ分からない1977年というかなり早い時期に、そういうテーマの物語を作っていた山田氏の慧眼には(その先駆者はP.K.Dickその他なのだが、まだ翻訳は殆どされていなかったはず。)、瞠目せざるを得ない。以上。(2002/09/07)