井上夢人著『オルファクトグラム』講談社文庫、2005.02(2001)
この人の書くものはどれも素晴らしいのだけれど、これもまた「やるなあ。」と唸らせる傑作。「犬並みの嗅覚から得た情報を視覚的に捉えられる能力」という何とも秀逸なアイディアを見事に生かし切って極上のエンターテインメント作品に仕上げる力量は常人のものではない。聴覚を視覚的に、というのは某SF作品にちょっとだけ使われていたと思うのだけれど、「感覚器官とその処理機関のつながりにおける普通の状態からの逸脱」というアイディアでこれだけの大長編を作ったのは世界初なのではないかと思う。何かあったかな?取り敢えずは一読すべき書であると言っておきたい。尚、主人公の姉を含む女性数名を残虐な遣り口で殺害する犯人の人物造形がやや浅くてやや矛盾があるように感じられたのだが(要するにそもそも何でそんなことをするのかが良く分からないし、準備周到な割には殺害対象の選び方に一貫性があり過ぎてこれではすぐに足が付くのではないかという疑問が生じる、といったところ。)、そこまで書くとヴォリュームが増え過ぎてしまう、という配慮なのだろうかとも思う次第。本当はそこまで描いて欲しいのだが…。以上。(2005/09/21)
Philip K. Dick著『ドクター・ブラッド・マネー ―博士の血の贖い―』創元SF文庫、2005.01(1965)
1987年にサンリオから邦訳が出ていたけれど、絶版となってから途轍もない値段で売買されていた作品の再刊。英語で読めば良いのだけどね。それは兎も角、本作は核戦争後のアメリカ西海岸を描く。世界崩壊の直前に宇宙に出た男が、地球軌道を周回する衛星に乗ってDJになっていたり、地上では放射能の影響で様々な動物が突然変異を起こし、人類にもそれが及んでいたり、と、如何にもこの作者らしいモティーフというかプロットに満ちた作品となっている。とは言え、全体の物語は極めて破綻の少ない端正なもので、主流文学に近いテイストさえ感じさせるものである。取り敢えずファンならずとも御一読の程。以上。(2005/09/29)
藤木稟著『スクリーミング・ブルー』集英社文庫、2005.09(2000)
1998年のデビュウ以来膨大な作品を書いている藤木稟(ふじき・りん)による、池澤夏樹と篠田節子を合わせたようなテイストを持つサイコ・サスペンス。それだけの形容では済まないとんでもない傑作で、これまでに読んだこの人の作品の中ではベストだと思う。と言うより、今後これ以上の作品を作るのは大変だろうな、とさえ感じさせるものだ。これは必読書。舞台は沖縄。でもって、その内容は猟奇的な連続少女殺人事件を追う警視庁から派遣された二人の捜査官の活躍を描く、というもの。それだけだと何という事も無いのだが、沖縄における、基地問題、人種問題といった社会問題から、ノロ・ユタだの御嶽(ウタキ)信仰だのといったその独特な宗教文化(独特じゃない宗教文化なんてものは無いのだが、それは兎も角)にわたるまでの極めて緻密な描写と、それを見事にメインのプロットに絡める物語構築の在り様は、まことに素晴らしいの一言に尽きる。〈以下ネタバレなので注意。〉ちなみに、人身御供が伝説・伝承レヴェルを超えて例えば沖縄という土地においてかつて現実に行なわれていた、あるいは今日でも行なわれ得るとは思えないところもあるのだが、この点はどうなのだろうか?詳しい方は教えて下さい。(2005/10/07)
山田正紀著『イノセンス After The Long Goodbye』徳間デュアル文庫、2005.09(2004)
押井守監督による劇映画『イノセンス』の前日談ともいうべき物語。要するに、同映画のノヴェライズを頼まれた山田正紀が映画公開前に『アニメージュ』に連載していた、基本設定は士郎正宗の創り出したコミック『攻殻機動隊』とその延長線上にある映画『イノセンス』に従いつつも、その中身が映画で描かれる事件と時間的にズレている関係で結局オリジナル小説になってしまった作品の文庫化である。このあたりの事情そのものが何とも複雑である。元になっているコミックが目指しているのは基本的にもう死語と化しつつある「サイバー・パンク」なので(敢えてそう言う必要がなくなってしまっている。)、文体もそのようになっている。それは結局のところ、ディテイルの書き込みが多ければ多いほど良い、というようなものだと思うのだが、それがいやでW.Gibsonみたいなものを全く受け付けない人も多いはずではある。本書においても確かに最初の方はその余りにも細かすぎる描写に戸惑うものの(そうなってしまった理由はこれがサイバー・パンクを志向しているという以外にもう一つあって、それはつまりコミックを未見の読者に本書が描いている世界の在り様を説明せんがためである。恐らく執筆にかかる前に渡された設定資料集は膨大な分量だったことだろう。)、話が進むにつれてそういうことが余り気にならなくなってくる。このあたり、稀代の物語作者としての面目躍如といったところ。この作品はサブ・タイトルを見れば分かる通りのハード・ボイルドになっていて、全編を覆う暗澹とした空気というか乾いたペシミズムが何ともやるせない。確かに、元になったコミックその他を見ていないと余り楽しめないかも知れないが(というか、かなりとっつきにくいかも知れない。ある程度知識があれば前半は流せるのだが・・・。)、この際全部まとめて読んでしまって下さい。(2005/10/12)
Anne Harris著 河野佐知訳『フラクタルの女神』創元SF文庫、2005.06(1996)
1996年という、非線形数理やポストモダン・フェミニズムがまだ幾分目新しかった時期に書かれた作品。それらについては、今日では完全に手垢が付いているのでこういう小説は最早書かれ得ない。とは言いながら、本作品はそういう面倒な理屈をこねた小説ではなく、アメリカの貧民窟を脱出した身体能力に優れた少女が、非線形理論に目覚めた女性分子生物学者と恋に落ち、その雇い主というかスポンサーみたいな人工生命研究者及びその一味と対決する、というお話。説明が難しいので詳しくは本書をお読み頂きたいのだが、G.Bearの『ブラッド・ミュージック』(多分ハヤカワ文庫でまだ出ています。途轍もない傑作。)をどことなく想起させる内容であるのも事実。ただし、Bearの作品構造が「線形」なら本書は「非線形」になっている、と。両者の根本的な違いについて説明するのもとんでもなく大変なのだけれど、まあ、一言で言えばそういうことです。とりあえず、非線形理論においては、例えば進化とか系統発生みたいなものについても、それは決して直線的ないし線形的なものではなく、むしろフラクタル構造的に起こる、あるいはフラクタル構造として認識可能なものである、と考える、位のことは言っておきましょう。頭痛いですね。あ、ちなみに原タイトルは The Nature of Smoke となっています。(2005/10/24)
Howard Philips Lovecraft著 大瀧啓裕訳『ラヴクラフト全集 7』創元推理文庫、2005.01
第6巻の刊行が1989年のことだから、実に15年を経てようやく出た7巻目にして全集の最終巻である。訳者の大瀧啓裕は3巻目から翻訳を行なっているけれど、これはもうライフ・ワークとなってしまった観がある。ご苦労様です。そうそう、清心社から出ている「クトゥルー 暗黒神話体系シリーズ」という書物群があるのだけれど、これの編集や翻訳を手がけているのがこの人。P.K.Dickの本を訳していたりもするとても優秀な方です。さてさて、肝心のラヴクラフトについてちょっとだけ記すと、知っている人は知っている「ネクロノミコン」なる架空の書物を創造し(実在すると信じている人が多数いるらしいのだが…)、死後も弟子みたいな人たちによって書き継がれることになる「クトゥルー神話」の創造者である20世紀初頭に活躍したアメリカの怪奇小説家、ということになるだろうか。一応小説群についてはほぼ全てのテクストが邦訳されたわけで、これを機にラヴクラフト研究が一気に進むことを望む、なんてことは言いません。それほどの作家だとは思えないわけで…。以上。(2005/10/25)
瀬名秀明著『ハル』文春文庫、2005.10(2002)
以前に『あしたのロボット』という題で出ていた連作短編集の文庫化。2000年から2030年までのタイム・スパンを想定して描かれた五つの物語は、劇的な形で進化するロボット達とそれらあるいは彼らとの共生関係の中で変わり行く人間との間の関係がどうなっていくかについて模索するもの。どの短編も今日のロボット工学について周到なサーヴェイを行なった上で作成されたものなので、とてもためになるし、とても面白く読めた次第。玩具として使われるにせよ、地雷撤去のような形で危険物取り扱い要員として使われるにせよ、介護要員として使われるにせよ、今後間違いなくそれらというか彼らは我々の生活環境に浸透していくはずのもので、そうなった時にどうなるのかはそうなった時に判明するのだろうけれど、それを想像するのは実に楽しいものである。といって、実は全然明るい未来を描いていない手塚治虫の作品をその基礎におく本作もまた、かなり暗澹とした未来を描いているのも事実で、その辺りがこの作家の何とも侮りがたい部分でもある。この辺り、同じく手塚治虫の漫画を原作とした浦沢直樹のコミック『PLUTO』(小学館。今の所第2巻まで刊行。)にも通じる所なのだけれど、その話は別の機会にとっておきたいと思う。以上。(2005/11/04)
森博嗣著『捩れ屋敷の利鈍 The Riddle in Torsional Nest』講談社文庫、2005.03(2002)
一応保呂草&紅子シリーズの1冊ということになるのだけれど、同シリーズの主要登場メンバで本書に出てくるのはこの二人だけ。でもって、本書には犀川&萌絵シリーズの主要登場メンバ4名が登場する。考えてみれば、犀川&萌絵シリーズにあって保呂草&紅子シリーズに欠けている最大の要素というのは、要するに保呂草という泥棒にしてこの本自体の書き手の存在なのだから、この本が基本的に保呂草&紅子ものなのは当然のこと。しかし、舞台設定だのトリックなどは明らかに犀川&萌絵シリーズのもので、同シリーズの新作としても読める、というところがミソなんだろう。どうも、本書の売れ行きはこのシリーズの中でも群を抜いているようなのだが、あの名シリーズを復活させて欲しい読者の潜在的な欲求がその辺に表われているのではないかと思う。ああ、本質的じゃない=どうでも良いことを述べている…。もう一つついでに本質的じゃないことを言うと、本書には「ネット」という言葉が出てくるのだが、これは何ネットなのだろう、と一瞬とまどいつつ、「インターネット」なのだな、と思い直した。そうそう、これは1990年代のお話なわけで、そうなると当然保呂草も紅子も既に40台、ということになる。人生まだまだですが…。
さて、舞台設定が面白いので一応記しておくと、本作の舞台は岐阜県の山奥に築かれた「捩れ屋敷」などを含む諸施設。捩れ屋敷についてだけ簡単に述べると、これは36の部屋を環状につなげたもので、基本的に直方体に近い形をした各部屋はつなぎ目で5度ずつ傾いていって、半周で90度、一周で180度回転する。メビウスの輪を36車輌からなる電車でこさえたところを考えていただければ良い。本書はこの建造物で起きた密室状況での殺人と盗難事件、少し離れたログハウスで起きたやはり密室状況での殺人を扱うのだが、これまたついでに言うと後者は要らないように思ったところもなきにしもあらず。ログハウスでの殺人事件は、あるものの性質という情報を読者に提供するために作られた挿話、という印象が強い。書き手が保呂草だから良いのかも知れないけれど。
実は、これは凄いな、と思ったのは、萌絵の連れである国枝桃子が捩れ屋敷に関して、一周で90度に捩れば最初の部屋から見ての床、天井、両壁が全部繋がったのに、と述べている部分。そうそう、本書の設定のように一周で180度の捩れにした以上、床と天井は連続、それから両壁は連続になっている。ということは、この作品の捩れ屋敷は2枚の分厚い板で出来ている、と考えて良いことになる。だから、ひょっとしてこの屋敷はバラせるんじゃないか、と思って巻末近くでは驚天動地のトリックの開示を期待したわけです。結末は読んでのお楽しみなんですけどね。さてさてどうなっていますことやら…。以上。(2005/11/03)
竹本健治著『フォア・フォーズの素数』角川文庫、2005.10(2002)
天才肌の寡作作家による『閉じ箱』(現在角川ホラー文庫で読める?)に続く第2短編集、ということになる。もっとなかったかな、と思ったのだが本人があとがきにそう書いているからそうなんだろう。それでもなおもっとあったような気がするんだが…。
さてさて、全13篇からなるこの作品集、初出年が記載されていないのでいつ作られたものか不明なものが多いのだけれど、基本的には1990年代に書かれた作品が大半を占めるのではないかと思う。『トランプ殺人事件』(現在角川文庫で読める?)の著者であることを意識したとても整った編集がなされていて、13篇は目次の上でクラブ・ダイヤ・ハート・スペード記号で区切られていて、内容もほぼ4つに分類できるようになっている。
でもって、クラブの部には少年の揺れ動く心を描くSFおよびファンタジー3篇、ダイヤの部には佐伯千尋もの3篇、ハートの部には何かに徹底的にこだわることについて書かれた3篇、スペードの部には牧場智久もの、「酉つ九(とりつく)」主演のトリック芸者もの、「パーミリオンのネコ」もののそれぞれ一篇が収められている。
個人的には、映画『メメント』の先駆ともいうべき「空白のかたち」の先見性に驚嘆しつつ(同じことをもっと前にやった人はいる?)、タイトル・チューンである「フォア・フォーズの虚数」にはこれを執筆するのにかけたであろう膨大な時間を想像して思わず戦慄しつつ、「メニエル氏病」における正に〈驚天動地〉のトリックに呆気にとられた、といった次第であった。他の作品もあくまで個人的には読み応え充分であったこの書物、確かにマニアック過ぎてついていけない方も多々いそうだけれど、限られた読者にしか開かれていない書物や作家というのもそれはそれで正しいあり方なのである。本書の導きにより、一人でも多くの同志が竹本ワールドに踏み込まれんことを願う。以上。(2005/11/07)
森博嗣著『朽ちる散る落ちる Rot off and Drop away』講談社文庫、2005.07(2002)
保呂草&紅子もの第9作にあたる長編。文庫で472頁というように結構長い。かなり長いんだけれども、これは、読んでいないのはあと一冊のみとなったこのシリーズのうちで取り敢えず最も優れた作品ではないかと思った次第。最終巻は一体どんなものなのか、期待が高まる。
さてさて、本書はすでに紹介した『六人の超音波学者』の続編にあたる。とは言え、一応単体でも読めるように工夫されている。『六人…』の舞台であった土井超音波研究所の地下から出てきた正体不明の死体と、紅子・保呂草がそれぞれ別ルートで関わることになる有人衛星内での密室殺人とも見なし得る奇妙な出来事という、一見かけ離れているかに見える二つの謎が、一応解消されるまでの過程を、これまで見たことがないような緊迫感に満ちた筆致で描いている。
何でそんな死に方をしたのかが良く分からない(これが一番手っ取り早いと言えば確かにそうではあるのですが…。)、という点を除けば誠に素晴らしいトリックに加え(「温めて膨らましてパンッ!」、なんていうことを考えたんですけどね。それだと余り大きな力は出ませんし、痕跡も残りますが…。)、まるで藤原伊織の小説みたいなテロリストと国家機関の対決という新趣向が、本書をしてこれまでの作品群とは一味違うものにしている。いよいよ残り1冊となったこのシリーズ、文庫版刊行を心静かに待つとしよう。以上。(2005/11/10)