Wim Wenders監督作品 Land of Plenty
ドイツ出身の映画監督Wim Wendersによる長編最新作である。米国はLAが舞台なので、使用言語はほぼ英語のみ。余り手の込まない、というか要するにかなりの低予算で作られた映画であるはずで、この優れた映画監督が1980年代初頭、いやいやそれより更に前に作っていたドイツ語作品に近いテイストが感じられるようにも思った次第。全体としては、悪い映画でもないし、かといって特に良い映画であると言えるようなものでもない、といったところ。個人的には最後の5分が特に玉に瑕。以下、この辺りの事情を説明しないといけない。
ヨルダン川西岸地区(イスラエル占領地で良いのかな?)からアメリカに戻ったLana(Michelle Williams)という20歳の女性とその母方オジPaul(John Diehl)が主役。LanaはLAにそのオジさんを探しに来たのだが、これには一応成功。しかし、オジさんはヴェトナム戦争の後遺症が911テロで再発したらしく、一人で対テロ戦争をやっている始末(この辺は端的にコメディなんだけど、笑えませんね。)。そんな折、一人のアラブ人なのかパキスタン人(前者は所属言語集団名で後者は所属国名となるのかな。)なのか結局良く分からないけれど兎に角名前と見た目からしてムスリムなホームレスの男性Hassanが二人の目の前で銃殺される。でもって、二人は紆余曲折の末、男の唯一の係累である彼の兄が住む街へと死体を運ぶことになり、オジさんの車による290kmの旅その他が始まる、というお話。
さてさて、「主要登場人物をごく少人数に抑えること」だの、「基本的にロード・ムーヴィであること」だのといった意味でこの監督の原点回帰とも言える映画には違いないのだが、何かが物足りない、というか逆に過剰な気がしたのであった。要するに、Micheal Moore監督が『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)でうまくいって、『華氏911』Fahrenheit 9/11 2004)でコケているのも同じことな訳で、「世界」について語り始めると映画というものは饒舌さを失う、ということなんだろうけれどこの辺りのことをもう少し説明しないといけない。
すなわち、その「過剰な感じ」について少々詳しく述べると、先に、最後の5分で云々、と記したが、要はオジさんと姪と一つの死体を巡る静かで切ないロード・ムーヴィでやめておけば大傑作になったかも知れないところを、そのオジと姪をしてしばらく前に大量死が起こったグラウンド・ゼロまで赴かせてしまったのは、やはり端的に言って「失敗」だと思うのである。この膨大な数の死についての余りにも直接的な言及、という過剰性のために、一つの死体が持つ意味を噛み締めていた一人の鑑賞者である私などは、それによって一気に、今までの2時間で頭の中に積み上げていたものを全て剥奪された気分に陥ってしまったのであった。
そんな次第で私としては、基本的に同監督の最高傑作ということは誰もが認めるだろう『パリ、テキサス』(Paris, Texas 1984)に良く似た設定とプロットを持ち、主としてthom.の楽曲によるサウンド・トラックが相変わらず何とも印象的なこの作品に、「良い作品である」というコメントは絶対に出来ないのである。(2005/11/08)