井口淳子著『中国北方農村の口承文化 語り物の書・テキスト・パフォーマンス』風響社、1999.3
本書は、タイトルの通り、中国北方は河北省樂亭(ラオティン)県辺りに流布する、「樂亭大鼓」(太鼓ではない。)というジャンルに属する語り物の、テクストとパフォーマンスについて、民族音楽学からのアプローチを行なった好著である。

私自身、その学位論文において口承文化と文字文化の関係を、東北日本のシャマニズム、その中でも口寄せ巫女のセアンスを含む儀礼や、そのクライアント達による事後処理という、それらが顕在化する「場」に力点を置いて捉え返す、という作業を行なったことについては、別の場所で記述した通りである。

当該学位論文の完成間近であった昨夏頃に読む機会を得た本書は、口承芸やその語られる内容の単なる蒐集と分類ではなく、それが語られ、文書化され、あるいはまた、改変され、生成するプロセスを、長期のフィールド・ワークによって得た膨大なデータから抽出することに成功している。

私個人としては、口承芸も、それが日本や中国といった文字文化が広く、かつ深く浸透した社会においては、当然のことながら文字文化からの影響ないし文字文化への影響を考える必要があり、かつまたそれこそが今後口承芸ないし口承文化研究が進むべき方向の一つなのではないかと、考えている。このような視座からの研究については、文化人類学の川田順造や、国文学の兵藤裕己といった面々により、近年画期的な仕事が成し遂げられてきたし、今後もなされていくものと思うのだが、本書もまた、そうした研究に新たな一頁を付け加えるものである、と述べて短評を終えることにする。(2001/05/19)