高橋源一郎著『日本文学盛衰史』講談社、2001.05
文芸雑誌『群像』に、1997年5月号から2000年11月号までにかけて連載された、単行本では約600頁からなる長編小説である。執筆・掲載時期が上記のようなものであることもあって、この作者がいつもそうしてきたように1990年代後半における日本社会に生じた様々な文化・社会現象をリアルタイムな形で織り交ぜつつ、主要な登場人物群である明治期以後の日本文学を語る上で欠くことの出来ない文豪その他を、明治・大正期と1990年代後半とを自由自在に往還させるという、破格ではあるけれど別段違和感を感じないスタイルで、その記述は進む。
二葉亭四迷、石川啄木、島崎藤村、田山花袋、夏目漱石、国木田独歩(ここまでは、全て一発で変換された。ATOKはまあまあ賢い。)等に関わる記述に最大の紙数を裂いていて、中でも「伝言ダイヤル」を使って「援助交際」に励む啄木、『蒲団 '98 女子大生の生本番』(これでは、「1898年」なのか「1998年」なのか分かりませんね。)という題の「アダルトビデオ」を監督する花袋に関する部分は大変面白かったのだが、本作品が持つ「文学」史上の意義は、実はこの著者が真に行なおうとしていたのは私見するところ伊良子清白(正しく変換されず。)、横瀬夜雨(これも同じ。ちなみに「瀬」は異体字。)、山田美妙(これもだーっ!)といったほとんど忘れられた詩人・小説家を再召喚し、文学史に復権させる試みであり、そして何よりもこの作品が、平成という「文学」なる語が既に死語になっているかにすら思える時代において、「文学」そのものを再生させようという果敢な試みなのであり、その成否はともかくとして、とにかくもそれらの試みがなされた、ということにあるのだと思う。
と、今回はごく手短に、このくらいで終わりにしよう。なお、本書においてさしたる役割を持っていない樋口一葉、森鴎外(「鴎」の<へん>は「區」です。念のため。)については、続編と言って良いだろう『官能小説家』において主演という役柄を与えられている、ということを述べておこう。現在、これを読む作業を行なっているので、その短評は数日後に掲載する予定である。以上。(2002/03/27)