Alejañdro González Iñárritu監督作品 BABEL
1999年公開の『アモーレス・ペロス』が激賞された、創った本数は少ないのにも関わらず既に名匠と呼ばれても全然おかしくない存在であるメキシコ生まれの映画作家・A.G.イニャリトゥ監督が、2006年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した話題作にして膨大な数の人員を使った超大作である。ちなみに、先頃行なわれた第79回アカデミー賞では音楽賞を、ゴールデングローブ賞では最優秀映画賞を受賞している。
さてさて、タイトルの「バベル」とは当然『旧約聖書』に登場する町の名前であり、そこに込められている意味はこの映画に即して言えばコミュニケーションの不全あるいは不在、また人間間におけるある種絶対的な境界の存在といった事柄となる。(以下、かなりのネタバレ要素を含むので未見の人は読まない方が良いかも知れない。)
物語構造はそれほど単純なものでもないのだが、基本的にモロッコ、日本、アメリカ・メキシコの3ヵ所がその舞台となる。モロッコ編では猟銃を手に入れた少年が悪戯心で放った弾丸が観光に来ていたアメリカ人女性(出ずっぱり感があるケイト・ブランシェット=Cate Blanchett。その夫役がブラッド・ピット=Brad Pitt)の肩辺りを打ち抜いてしまって大騒動になり、という話が、日本語台詞にも字幕が付いた日本編ではどうやら家族の問題で精神的に不安定な状態に陥っている女子高校生(アカデミー賞・助演女優賞ノミネートの偉業を果たした菊池凛子。その父親役が役所広司)が次第に暴走を極めていく様が、アメリカ・メキシコ編では上のモロッコに行った夫婦の幼い子ども二人がメキシコ人女性のベビー・シッター(アドリアーナ・バラザ=Adriana Barraza)と共にその息子の結婚式に参列すべくアメリカ-メキシコ国境を越えた結果として陥るある事態がそれぞれ描かれる事になる。
そういう、群像劇風の物語仕立ては前の年のアカデミー賞を席巻した2作品である『クラッシュ』及び『シリアナ』を彷彿とさせるものがある、というよりこの映画、この2作を合体させたような内容になっているのがやや気にかかった。こうした、話題に上った映画の内容が相互に似通ってしまうという現象は、映画業界のネタ切れ振りを表わしているのかも知れない。
まあ、取り敢えずは実に丁寧な造りの映画で、情報量、必要な思考量も適度なものになっていて、大人向けのやや硬質のエンターテインメント作品としては上出来なのではないかと考えた次第である。ただし、「日本にはこんな女子高生はいない。」であるとか(まあ、理由が理由なので良いのかも知れないのだが。)、「日本編がどうみても他の二編から浮いている。」という突っ込みは行なっておかなければならない。この映画、物語構造的には日本編が無くても成立するのである。ぼかし気味に書くと、その猟銃で、というのなら話は別なのだが、そうだったら廃棄しているだろう。
そうそう、この映画を見始めてすぐに「これって要するに『ロス疑惑』じゃん。」ということを考え出してしまい、その印象が最後まで頭を去らなかったことを書き記しておきたいと思う(ちなみにあの事件は被疑者の無罪が確定している。しかしながら、結局誰がやったのかは分からず、「疑惑」は消えていないのも事実である。)。ラスト近くの病院への搬送場面なんて、約25年前にTVで見たものとダブりすぎなのである。あくまでもごくごく個人的な観方に過ぎないとは言え、この映画、あの事件をヒントに作っている可能性も完全には否定出来ず、そのことはチエコの母親の死についての「真相」からも補強されるわけで…。考えすぎだろうか?以上。(2007/04/28)