研究会などへ。

昨日になりますが、東洋大学白山人類学研究会の会合に行ってきました。今話題の「白山会」ではありませんよ。20名を超える参加者が集う中、フィリピンはマニラのムスリム社会に関する報告が行なわれました。

長期にわたるフィールド・ワークに基づいたお話で、大変興味深く聴かせていただいたのですけれど、今回の話はあくまでも個別事例の紹介に過ぎず、更に言えば分析というよりは単なる観察にとどまっているのではないか、という印象を受けました。膨大なデータがあるのに勿体ないな、と思うのです。つまりは、この研究が、マイノリティ研究であるとか、地域社会研究といった従来からある大きな研究枠組みの中でどのような意味を持つのか、というところが思考され、詰められ、語られるべきではないかな、と考えた次第です。

要は、人類学の実践者は細かいことをやりつつも、一般化への意志は常に持っていないといけないと思うのですよ。私自身、例えば「鈴鹿市肥田町の獅子舞伝承」という個別事例について調べつつも、民俗芸能研究一般であるとか、身体論・身体行為論一般、はたまた地域社会論一般のようなところに話を広げよう、という戦略や意志は常に携えているわけです。乗っかれるところは乗っかっちゃった方がよい、というより乗っからないといけないと思うのですよね。それが研究というものなのではないかと考えています。

と、云う事で。