鈴鹿から戻ってきました。今年は昨年とは打って変わって雲一つないお天気で、暑いくらいでした。そんな中、肥田町では秋の祭典が行なわれ、獅子舞の門舞い、神社での奉納舞いも無事終了。今回塗り直されてピカピカになった獅子頭が放つ輝きはなかなか見応えのあるものでしたね。総勢23名の保存会の皆様、ご苦労様でした。
以上、簡単ながらフィールドワーク報告でした。
と、云う事で。
鈴鹿から戻ってきました。今年は昨年とは打って変わって雲一つないお天気で、暑いくらいでした。そんな中、肥田町では秋の祭典が行なわれ、獅子舞の門舞い、神社での奉納舞いも無事終了。今回塗り直されてピカピカになった獅子頭が放つ輝きはなかなか見応えのあるものでしたね。総勢23名の保存会の皆様、ご苦労様でした。
以上、簡単ながらフィールドワーク報告でした。
と、云う事で。
この週末、といいますか明日は鈴鹿入りします。F1GPではなく、獅子舞の参与観察です。何気に来週社会学会でこれを題材とする発表となりますね。忙しい1週間になりそうです。
と、云う事で。
昨日になりますが、鈴鹿市稲生(いのう)にある伊奈冨(いのう)神社で、3年に一度奉納される4体の獅子頭を用いた獅子舞奉納を見て参りました。動画を撮っていたので静止画はおろそかになってますが、その中の1枚です。なお、画面左側の樹木は既に葉桜となっている桜でございます(さりげなく「桜便り2009その10」、と)。
ところで、私は肥田町の獅子舞を旧玉垣村のものについて言えばそのほとんどを観ているわけですが、その中だけでも各々が結構違うことが分かっています。この度稲生のものを拝見して、改めて玉垣地区と稲生を比べると、お囃子に若干の共通点があるものの、舞についてはかなり異なる、そしてまたそもそも演目の構成自体が全く違う、ということが良く分かりました。ついでに言えば、四日市市に近い長太(なご)などとも大きく異なっています。こういう相違が何故に生じたか、というのは大問題ではないかと思うわけです。
ただ、今回やっている一連の民俗芸能研究ではそういうことを論じるつもりはありません。大事なことは稲生の獅子舞が基本的に世襲というシステムをとっている、あるいはとってきたということです。そうして、稲生に関しては、少子化・過疎化を背景として既に世襲ではまかなえなくなっていて、それをどう補完しているのか、という辺りが関心の中心であり、更にはそういうシステムと、そうではない肥田町のような相対的にオープンなシステムとで、伝承のありようにいかなる違いがあるのか、ということを、これからやっていく調査を通して論じようと考えています。何とぞご期待下さい。
まあ、取り敢えずはこれを逃すと次回は3年後になってしまう獅子舞奉納を実地で観ることが出来、映像資料を手許に残すことが出来たのは大きいですね。タイトなスケジュールだったんですが、ちょっと無理して行ってきたのは正解でした。
と、云う事で。
再び獅子舞の季節がやって参りました。鈴鹿市肥田町の春祭(4/5)で奉納される獅子舞の練習が3/23から開始されています。私は本日ようやく初参加。小学生のメンバが増えてましたね。全体として盛況な感じ。
ところで、間もなく春祭、とは言え何だかとても寒いわけです。この分だと、今週末のお花見はほぼ無理、来週末がピークとなりそうですね。ちょうどお祭の辺りになるかな。
しかしですね。私はと言いますと、4/5は宝塚で行なわれるコーラスマスタークラスの講習会にモデル合唱団として出演のためお祭には参加できないのです。残念ながら。ちなみに講習会では、鈴木輝昭作曲『詞華抄』をやります。とても難しい曲ですが(ホントに難しい...)、良い演奏をすべく日夜トレーニングしてます。何とぞご期待下さい。
と、云う事で。
本日は松阪市で行なわれておりました第20回三重県合唱アンサンブルコンテストに出場して参りました。12人までという枠がありますので、ヴォーカル・アンサンブル≪EST≫からは12人ずつ二組の出場です。
うち一組は選抜隊である《EST》スコラーズで、もう一組の私たちは有志団体。「強化合宿最終日」というグループ名での出場でしたが、曲はジョスカン・デ・プレの有名なミサ曲から「グロリア」。一応基本に忠実な、端正な演奏が出来ていたのではないかな、と思いましたが、結果は金賞でした。ご声援感謝します。
打上げ、というわけでもないのですがその後4人ほどで松阪市内のお寿司屋さんへと。双葉鮨というお店です。お店の前にある看板が笑えるのですがそれの写真は貼り付けるのを自主規制(笑)。貼り付けた写真は2,000円のお任せコースについてくるシャケ寿司。ネタがでかいじゃないですか。他もこんな感じでした。とても美味。
このお店、かなりお薦めですね。地元の人はみんな知ってるんだろうな、と思いましたが、松阪に行かれることがあったら是非、と思います。お店が狭いので(10席しかない...)、予め電話でも入れた方が良いかも知れません。
と、云う事で。
昨日になりますが、ヴォーカル・アンサンブル≪EST≫主催、「新春!歌の発表会」というものが行なわれました。私はC.ドビュッシィの作品(「二つのロマンス(Deux Romances)」)を歌い、A.カルダラの有名なカンツォネッタ「たとえつれなくても(Sebben, Crudele)」の伴奏をする、という結構ハードなタスクをこなしたのですが、まあ適度にミスしながらもなんとか乗り切りました。
一人で歌ったりピアノを弾いたりって、緊張しますけど達成感がありますね。特に伴奏はまたやりたいな、と思います。合わせの練習等々、本当に楽しかった。歌い手の皆様、よろしくお願いします。ああ、そうだそうだ、いずれは弾き語りもやってみたいですね。やりたいことが増えちゃったな。
歌の発表会後は単身鈴鹿に移動しまして、昨夏まで近くに住んでいた肥田町の獅子舞保存会メンバと新年会などを。昨日は報恩講にあたってますから、皆さん忙しい中での新年会です。年代的にも40代が大半で、要するにそろそろ町内の中核を担い始めているのですね。職場でも同じ状況なわけで、かなり忙しい。今回は、そういう方達の結束といいますか、そこまでいかなくとも独特な「ノリ」みたいなものに触れる良い機会となりました。肥田町については良い論文、というか出来たら著作にしたいな、と思い始めてます。ご期待の程。今回は資金調達が大変そうなんですけどね...。
と、云う事で。
昨日になりますけれど、ついこの間まで住んでいた鈴鹿市某所の秋祭に参加してきました。朝4:30に起きて始発での移動です。7時くらいから「門舞い」というものが始まりまして、これは要するに町内の一軒一軒を、玄関の前で獅子舞をして廻る、というものです。全戸ではないのですが、かなりの数になります。私も3軒ほどさせて頂きましたが、腰に来ました...。それもそうですけれど、、雨がかなり強くてなかなか大変でしたね。
門舞いも午前中一杯で終わり、午後は神社での祭典。神事のあとは境内で獅子舞奉納です。今回私は出演できませんでしたが、10代から40代までという幅広い年齢層からなる舞い手の皆さんが素晴らしい技を披露していました。獅子舞保存会のメンバのなかでは子供達も少し増えておりまして、来年度以降が心配だった、基本的に小学生が行なう口取り役も今後順調に育っていくのではないか、と思われました。継承問題はどこに行っても悩みの種なわけですが、やや将来に対する明るい展望が見えたのではないかと思う今回の秋祭でした。
と、云う事で。
いよいよ10/5にこの間まで住んでいた鈴鹿市のとある一角でお祭がございまして、私もこれに参加するわけです。獅子舞奉納、というよりは門舞いと呼ばれる、町内の一軒一軒を廻っての獅子舞です。その家の無病息災を、といったところのこの行事、昨年は台湾公演のために参加できなかったので今回は万難を排して臨むことになります。まあ、この日に件の合唱団は定期演奏会に向けて合宿などをしていたりするんですけれど、サボらせていただくわけです。
そんなこんなでかれこれ祭まで2週間を切ったわけで、本日から神社の拝殿での練習が開始されました。私も名古屋から伊勢鉄道を利用しつつ馳せ参じたのですが、初日ということもあってか主要なメンバはほぼ揃い、熱の入った練習となりました。当日まで私が行けるのは3-4日だと思われるのですが、がんばって舞いに磨きをかけつつ、参与観察をしっかりとやっていこうと考えています。
と、云う事で。
私設サイトの研究業績欄に、先日筑波大学で行なわれた日本宗教学会第67回学術大会での報告を追加しています。当日配布のレジュメもPDFファイルでアップしました。是非ご覧下さい。
と、云う事で。
さてさて、明日は久々の学会発表でございます。今回はと言いますと、筑波大学で行なわれる日本宗教学会第67回学術大会での個人発表。「三重県内の山の神信仰について」と題して、ここ1年半ばかり住んできた地域のことをごくかいつまんで話します。
正直な話、与えられた時間は15分しかありませんから、事例報告をするのはかなりきついのです。人の書いたものやら自分で見聞きしたことを色々打ち込んでいたら原稿用紙50枚分くらいになってしまったのですが、つづめにつづめまくり、先ほどやっと1,600字の要旨が完成しました。あとは発表用のレジュメをもうちょい整理して終わりですね。
ちなみに、筑波大学というのは今帰省している幕張からだとさほど遠くありません。武蔵野線で南流山まで行き、つくばエクスプレスに乗り換えて20分ほど。そこからバスで、らしいんですがまあそれは致し方ないところ。駅前だと嬉しいんですけどね。
ちょいとくたびれたんで休憩してから最後の作業に入ります。
と、云う事で。
昨日鈴鹿に戻ってきました。息つく間もなく、その足で伊勢市へと向かいフィールド・ワークです。今回は帰りが遅くなるのが分かっておりますので、レンタカーを借りました。伊勢市-鈴鹿市間は昼間だと1時間半くらい、夜だと1時間ほどですね。
さてさて、今回見学したのは宮川河口付近のある集落で行なわれているカンコ踊りと呼ばれる行事。これは要するに盆行事です。村のお寺の境内に新盆を迎えた遺族の皆様がゴザ(と言いますかヴィニル・シートですね。)を敷いて座り、集落全体でご供養をしつつ、カンコ踊りが始まるのを待ちます。22時過ぎに踊り手達が入ってきまして、約1時間、各新亡者に対し供養の念をこめて踊っておりました。
例により携帯電話(先週末に戻ってきたW51Kです。)による撮影なので良く撮れていないのですが1枚だけ貼り付けておきます。夜間は厳しいですね。ちゃんとしたディジタル・キャメラはやはり欲しいな、と思います。ヴィデオ・キャメラもそろそろHDD録画のものに変えたいところでございます。その前に携帯電話自体もそろそろ変えないとなんですけどね。
話を戻しまして、実はこの行事、お囃子等々といった鳴りもの・唄いものが大変興味深いものでございまして、これらについては何か書きたいな、と考えております。ここは民俗音楽絡みのネタが豊富なところなのです。
と、云う事で。
本日はプールに行きがてら四日市などへ。たまたま今週末は45回目となる「大四日市まつり」というものをやっておりまして、これを見物しておりました。こういうものを学問的に扱うのはとても難しいのですが、この地域=四日市・鈴鹿エリアを理解する上で少々役に立つかも知れないというような感じはもったのでございました。四日市市はそれなりの人口は抱えておりますので、結構な賑わいでした。写真を貼り付けておきます。この祭、いわゆる「都市祭礼」そのものな気がする何でもありなお祭なんですが、これはこの祭の原型の一部なんじゃないかとも思う諏訪神社の神輿渡御の様子です。
上の見物もついでなら次もついでな事柄。どうも今年に入ったくらいから携帯電話のカメラの調子が余り芳しくなく、まあイイかという具合で放置気味だったのですが、ちょいと時間的に余裕が出来ましたのでauショップへと。要するに、ピントが甘すぎるんですね。過去の写真を見ると、明らかに年末年始くらいからおかしくなってます。で、修理ということにして、代替品(「だいたいひん」、と読んで下さいね。)を貰ってきました。これが表題のW61SHです。
これ、いわゆるAQUOS携帯ですね。今年初頭に出たもので、何だかラッキーな気が。店頭でも「ああ、これイイですね~、このまま返さないで良いですか(笑)?」なんて店員さんをからかってしまいましたが、それはさておき、この器械、その実なかなか使い勝手が良いです。上の写真もこれで撮影してます。初期設定のため、画素数が異様に少ない設定で撮られているのですが、クッキリ感があります。携帯の画面だとその良さが更に良く分かります。
うーん、こういう進化の仕方を見ると、そろそろ換え時だな、と思ってしまうわけです。修理の可否次第なところもありますが、携帯買い換えが懸案事項の一つに加わった次第でございます。
と、云う事で。
本日は伊勢市でのフィールド・ワークなどを。例により、宮川河口付近のとある集落でございます。お昼は祇園祭と覚しき雰囲気の松阪でご飯を食べ、彼の地へと。
公民館でひとしきりお話を伺い、メインの目的である「おやれ」なる行事を見学。これが右の写真です。全国的に見られる虫送り行事のことなのですが、「おやれ」とは要するに「追い遣れ」の転訛ということになるでしょう。
ちなみに、西日本の虫送り行事が斎藤別当実盛と深い関係にあること、即ちいわゆる「実盛人形」を作って非業の死を遂げた実盛の怨霊をなだめ鎮める、というような形をとることが多いのは民俗学では常識の範囲ですが、ここの藁束は写真の通り人形の形にはなっていませんし、基本的に燃やすものです。また、この行事ではかつて歌いながら歩いたそうなのですが、残念ながら今ではそういうこともなく、伝承者もいるのかどうか不明、という状況です。何とか見つけたいと思っているのですけれども。何が歌われていたのか、凄く気になるのですよ。ご存じの方はご一報いただけると幸いです。
次回の取材はお盆の時期(月遅れ)に行なわれる羯鼓(かんこ)踊りです。時間帯が問題なのですけれど、何とかなるでしょう。どうでもいいですけれど、首都圏では大旨明日からお盆となりますですね。
と、云う事で。
さてさて、本日は会社を休んでフィールドワークです。まずは、1年前に果たせなかった、伊勢市の朝熊山にある金剛證寺というお寺で毎年6/27-29に行なわれる開山忌という行事の見学などを。実のところ、明日明後日がメインらしいのですけれど、まああちこちから奥の院へと塔婆(とば)供養にやってくる人が本日でもひっきりなし、という感じでございまして、本当の意味で生きた信仰だな、と感慨に耽っておりました。
なお、このタケマイリ習俗に関しましては、朝熊山からではなく地域社会の側から見よう、と考えるに至っており、それも含めて次の場所へと移動を。
次なる地は今のところ名前はあかせませんが伊勢市街地のやや北に当たる場所。いわゆる半農半漁で暮らしを立てていた地域でして、ここにはかつてミコさんと呼ばれる霊媒師が在住しておったわけです。
私は基本的にシャマニズム研究者なので、折角三重県に住んでいる以上は櫻井徳太郎氏がかつて調査したこの辺りのその後をきちんと押さえておきたい、そしてまたピンポイントの調査により何か櫻井氏と違うことを言いたい、と考えているわけです。
本日はそのような意図を持っての二回目の訪問でしたが、今回は、ミコ寄せについてはまだまだ聴き取りは可能だな、ということ、あるいはシャマニズム研究とは部分的に重なる形でやってきた身体パフォーマンスに関わる研究がここでもやれるだろうな、という感触を得て帰ってきました。特に、富士山信仰が面白いのです。これらについての詳細は更なるフィールドワークを重ねた後にどこかで発表ないし公刊しますので心待ちにしていて下さい。
以上、簡単なフィールドワーク報告でした。
と、云う事で。