お田植祭などを。

またまた研究情報です。

本日の午前中は梅雨らしからぬ大雨の中、ご近所の神社で行なわれた「お田植祭」を見学して参りました。小学生の「早乙女(さおとめ)」10数名が、神社の横にある田んぼ=斎田で田植えをする、という行事で、この神社で行なわれるのは今年が初めて、となります。

これと同じかあるいは類した行事は、各地で行なわれてきたものの生業構造の変化、機械化、そして人口構成の高齢化などの理由で廃絶したところも多いだろうと思われるものなのですが、これが何故この地で今年になって新たに行なわれることになったのか、というのは人類学的に言っても大変興味深い事柄なわけです。祭というのは、ある意味社会を写す鏡のようなものとも考えられますからね。

さてさて、実のところ、この神社が総鎮守である私もその一角に住んでいる旧玉垣村の各集落では、1950年頃から長きにわたって激しい人口流動が続いた結果として、祭・行事などが、廃絶したり、何とか維持されていたり、とても盛んに行なわれていたり、更にはまた新たに創出されたり、といった大変なヴァリエーションをもって変化を遂げている、というのがここまで3ヶ月暮らしてきた上での実感です。仙台市近郊のある地域でも、各集落では微妙な差異をもってそうした変化は起きてきたのですが、ここに比べれば一律性はかなり高い、ということが言え、それは何故か、というのはとても面白い研究テーマなのではないかと考えています。これはまだ未開拓である別のフィールドも視野に入れながら、一つの長期的なテーマとして追求してみようと思います。

と、云う事で。