ニュー・ヨークへの道:第11回。五日日。

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もう日本に帰ってきていますが、この連載はもう少し続きます。

さてさて、18日はいよいよ演奏会当日です。朝は宿から12AVまで行ったところのカフェにてクロワッサンサンド。この辺り、カーディーラ多し。

ny_20101218_01.jpg13時集合なので、やや時間あり。近いのに行ってなかったリンカーン・センタや、ダコタ・ハウスまで足を運びました。前者はメトロポリタン歌劇場やバレー・シアタ、ホールなどが固まった非常に重要な施設。微妙に値段が高いんですがおみやげも仕入れました。

続くダコタ・ハウスは言わずと知れたジョン・レノンが晩年住んでいたアパートです。右上写真のような古式ゆかしい建築物。1884年築で、『ローズマリーの赤ちゃん』『ヴァニラ・スカイ』といった映画のロケにも使われたこれも重要なスポットですね。反戦思想を強く持つ『戦争レクイエム』を演奏する前に、ここに行ったことには大きな意味がありますが、それは敢えて説明するまでもなくお分かりですね。'imagine all the people...'です。

一旦宿に戻り、カーネギーホールへと。ピエール氏と栗山先生による練習。これが最終調整です。オケとの合わせは無し。でも、基本的に良い感じで仕上がっているんじゃないかと思いました。15時30分で終了。

ny_20101218_02.jpgちょっと時間が空きましたので、カーネギーホールのショップなどで買い物をしつつ、一旦宿へ。近くのDELIで仕入れたパニーニをかじり、カーネギーホールへと向かいます。これが最後の往復になりますね。この辺にカーネギーホールの外観写真を入れておきましょう。

さて本番。大入りです。しかも凄い熱気。まずは前半。2.Dies ireaで一部のアンサンブルが乱れるというアクシデントがありましたけれど、集中力を切らさずに歌いきることができました。お客さんの反応も上々。

そして大事をとっての20分間強の休憩を挟んで後半の3.Offertriumへと。実は、後半頭から歌い出す少年少女合唱の子供達が4階席(5階かも)まで階段を上っていくのを目にしていて、「大丈夫?」と思っていたのですが、不安的中。

ちなみに、そのすぐ後では私もちょっとミスりました。やっぱり、リハ不足、は否めませんでしたね。小澤先生の指揮+サイトウキネンオーケストラの演奏で歌うのは前日のゲネプロを入れて2回目なんですよ。これだけ難しい曲を、この位の合わせで完璧にできてしまうのはきっとプロな方達。下手をするとプロでもキツイかも。どアマチュアの私には到底無理です、と敢えて言っておきます。でも、いつかそういうことがサラッとできるようにはなりたいものではあります。

そんなこともありまして、個人的には反省点も多いのですが、22時くらいには公演終了。スタンディングオベーションの中、こんな経験ができたことの喜びをかみしめておりました。関係者の皆様、本当にありがとうございました。

ny_20101218_03.jpg着替えなどの後、ホールと同じ57STにあるSherry'sという店で打ち上げ。オケの皆様、ソリスト、マエストロなどなど、ほぼ全員が一つの店に集まっていたのではないかと思うのですが、ほとんどの時間地下で飲み食いしてましたので良く分かりません(笑)。ここまで余りできなかった松本の方々との交流ができて良かったと思いました。

なお、栗友会の飲みはこれだけでは終わりませんで、ホテルのロビー、そして部屋での飲み会を経て、寝る間もなくパッキングをして空港へと向かうことになったのでした。

と、云う事で。